【戦後80年】イッセイミヤケと“平和をまとう”という選択──服を通して伝えた祈りとは

【戦後80年】イッセイミヤケと“平和をまとう”という選択──服を通して伝えた祈りとは

2025年は、戦後80年の節目にあたります。
この特別な年に、改めてファッションという日常の営みの中で“平和”を問い続けてきたデザイナーたちに目を向けてみたいと思います。コム デ ギャルソンの川久保玲やYOHJI YAMAMOTOなど、社会に対してメッセージを込めた作品を発信し続けてきた人物の一人に、イッセイミヤケの存在がありました。

“プリーツ プリーズ”や“BAOBAO(バオバオ)”といった革新的なアイテムで知られるイッセイミヤケ。しかしその華やかな表現の裏には、広島で被爆したという過去、そして“語らずに表現する”という静かな祈りが込められていたのです。

イッセイミヤケ


被爆体験を沈黙し続けたデザイナー

1938年に広島で生まれた三宅一生氏は、7歳の時に原爆に遭遇しました。母親は放射線障害で亡くなり、自身も健康への影響を抱えながら成長しますが、この体験について彼は長年公に語ることはありませんでした。

理由はひとつ、「原爆を生き延びたデザイナーとして知られたくなかった」から。
(出典:The New York Times, 2009)

彼にとって、評価されるべきは「人生」ではなく「作品」であるという信念がありました。
しかし2009年、当時のアメリカ大統領バラク・オバマが核兵器廃絶を訴えたプラハ演説に心を動かされた彼は、ついに沈黙を破り、自らの戦争体験と平和への願いを『ニューヨーク・タイムズ』に寄稿しました。

「私には夢がある。オバマ大統領が広島の原爆ドームを訪れ、平和の尊さを共に語ってくれる日が来ることだ」

そのメッセージは、やがて2016年のオバマ大統領の広島訪問という歴史的瞬間へと繋がりました。


「Design is for life」──服は人生のためにある

 

イッセイミヤケのファッションは、ただの美しさや流行を追うものではありませんでした。
彼が目指したのは、誰もが日常の中で自由に纏える服。性別や年齢、体型、国籍などの境界を越え、「生きることを肯定する衣服」をつくり続けました。

1993年に発表された「プリーツ プリーズ(Pleats Please)」は、軽くてシワにならず、洗濯も簡単。プリーツの美しさと機能性を両立させたこのシリーズは、世界中の人々の暮らしを支えました。


同じく、日常に寄り添いながらも環境に配慮した素材選びを大切にしているブランドとして、「PEPAR(ペーパー)」も注目を集めています。和紙素材を活かしたサステナブルなアパレルは、イッセイミヤケの哲学とも通じるものがあり、未来にやさしいファッションの在り方を提示しています。


BAOBAOに込めた「未来」──形を変える希望の象徴

 

2000年にスタートした「BAOBAO ISSEY MIYAKE(バオバオ イッセイミヤケ)」は、三角パネルの組み合わせによりバッグの形が自在に変わる、まさに“動きのあるアート”。軽量かつ個性的で、ジェンダーを超えて多くのファンに支持されています。

2023年には“GROWTH”シリーズとしてサボテンや植物をイメージしたアイテムが登場し、2025年8月にも新たなサボテンモチーフが再登場予定。いずれも、自然と調和しながら未来を創るという、イッセイミヤケのメッセージが込められた作品群です。

 


「平和を語らない平和運動」──デザインで伝えるということ


イッセイミヤケが語った「平和」とは、プラカードや抗議ではなく、“人の暮らしを豊かにすること”そのものでした。
決して声高に主張せず、それでも確かに伝わる思い。

その姿勢は、彼のすべてのデザインに表れています。
身体を締めつけず、誰かを傷つける要素を取り除き、心地よさと自由さを追求する。そうした“静かな平和運動”とも呼べる哲学は、今も多くのクリエイターやブランドに影響を与え続けています。

環境と人に配慮した素材を使うという点でも、和紙アパレルブランド「PEPAR(ペーパー)」の理念は重なります。同じく、日本生まれの素材を用いながら、機能性と美しさを追求する姿勢に共鳴を覚える方も多いのではないでしょうか。

 

またPEPARでは、過去にもファッションが語る“平和”というテーマについて掘り下げたブログを公開しています。
興味のある方は、ぜひこちらも合わせてご覧ください。
👉 ファッションが伝える社会へのメッセージ

 

 

いかがでしたでしょうか。
イッセイミヤケが遺したのは、技術革新やデザイン美学だけではありません。
服は、未来への希望をまとうもの”という揺るぎない信念でした。

被爆者として語らなかった時間、そして語ることを選んだ勇気。その両方を経て彼が私たちに届けてくれたメッセージは、今もBAOBAOやPLEATS PLEASE、数多くの作品を通して生き続けています。

戦後80年の今、彼のデザインに再び触れることは、“ファッション”を通じて「人としてどう生きるか」を問い直す、貴重な機会になるのではないでしょうか。

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